台本倉庫

「cooler」どうでもいいはずの事が気になる男の子。

クーラーのリモコンの電池が切れている。

新しい電池が忘れられていないかと、床に積み上げた雑誌の谷間を探すが、忘れられたボールペンが発掘されただけだ。

仕方無しに壁にぶら下がっているクーラーに伸び上がって、直接本体の電源を入れた。
緑色の電源ランプはきちんと点いて、風を吹き出す準備を始めた。

本体で温度調節ってどうやるんだっけ。
その前に一体いつまでスタンバイしてんだ、ポンコツが。

この暑さはイライラする。
何もかもが嫌になる季節だ。

俺は冷蔵庫を開けた。
使いかけのミートソースの缶の淵に赤茶けた色が乾燥してこびりついている。
缶の蓋は癖で押し込めてしまっていて、ギザギザの窪みににソースを引っ掛けて中に沈み込んでいるのが見える。

これはいつの物だったっけ。思い出せない。
捨てるなり中を確かめるなりすればいいのだろうが、そんな気も起きない。

まだあると思っていたミネラルウォーターが無いのに舌打ちしてそのままドアを閉じた。
昨日夜中に飲み干した事を思い出す。
バカだなあ、夜中の事は大抵我慢できるだろう?

でも朝は駄目だ。朝に欲しいと思っているものが無いのは駄目なんだ。

俺は水道の蛇口をひねってしばらく落ちる水を見ていた。ステンレスのシンクは安っぽい音を立て続けている。

俺はほとんど無意識に蛇口を絞って水の柱を細くした。

「だららららら」

文字にするとこんな音だ。
だらららら。今の俺には、もうそういう風にしか聞こえない。

いつだっけ、寒かったんだ。
ひどく酔っ払った日に知らない女を部屋に泊めた。

女もひどく酔っ払っていた。
ケラケラと笑う女。俺の上着をはおっていきなり泣きながら笑い出す女。

外で散々飲んできたのに、コンビニで買った缶ビールやチューハイをさらに飲み、女の目の焦点は合ってないように見えた。
女はまたクスクス声を立て目をこすりながら笑っている。おかしな笑い上戸もあったもんだと思った。

水が飲みたいと言い出したので、流し台のコップどれでも使っていいよと言ってやった。
たしかその夜もミネラルウォーターを切らしている。
折角コンビニに立ち寄ったのに、水のことをすっかり忘れていたのだ。

女は今みたいに水の柱を細くして、音を聞きながら言った。

何か登場しそうだよね。え?ほら、審査の発表とか、マジックショーの時、
ドラムが鳴るでしょう?「だらららら」って。
で、「じゃん!」で何か出てくるの。コンテストの優勝者とか、マジックなら、
ハト…あ、ハトくらいじゃ鳴らさないよねドラム。何が出れば丁度いいかな。
派手な衣装の女の人とか?箱に入ったのを剣なんか刺しちゃって、箱が
バラバラになってさ、またくっつけると無事な女の人が出てきてさ、
あれ、これってちょっと定番過ぎ?

俺は女が投げやりなのをわかっていた。
知らない男に付いて来るくらいなんだから勿論投げやりなんだけど、何だろう、その投げやりに違うものを感じて、俺は急に腹立たしくなったのだ。

投げやりになってお前を連れてきたのは俺なんだぞ。
ハンバーガー屋から飛び出して、すぐ目に付いたこの女に声を掛けたのは俺だ。

外に出る直前、携帯を店のトイレの便座に突っ込んで来た。
あの瞬間の衝動は止められなかった。メモリーの中身誰一人いらなかった。

ふざけるな。
あの瞬間。

だらららら。

俺は水をコップに汲もうともせずに、ドラムロールをずっと聞いている女の肩を後ろからつかんだ。

じゃん!

女はひざの後ろを軽く蹴られた反動で、かくんと腰を落とし仰向けにころがった。驚きもせずじっと俺を見ている。

俺の目を見やがった。だから俺も女の目を見た。

下まぶたが青黒くなっている。化粧が崩れたからだ。目がまだ赤い。
この女は投げやりになっている。

俺はこいつををめちゃくちゃにして最低な気分になりたかっただけなんだ。
なのにこれではこの女と何かを分かち合ってしまうかもしれない。
多分、同じ種類の投げやりだから。

ヒザカックン。あはははははははははははは!

俺は人生ランキングでトップスリーに入る最高の笑い声を立ててやった。
女も耳に突き刺さるような笑い声を出した。
カブってんだよ、いちいち。

深夜のテレビは救われる気分がする。

女はさっきまで深夜番組に出ていた新人お笑い芸人のコントを批評していたが、気付けばベッドに背中を預け座ったまま目を閉じている。

女に掛け布団をかけてやるときに、いたたまれない気恥ずかしさに襲われた。
俺は何をやってるんだ?

テレビの音を絞り、俺も床の上に横向きに丸まって寝転んだ。
真っ暗な部屋で、テレビの光だけがめまぐるしく明暗を繰り返している。
テレビからのかすかな人の気配。たまに「爆笑しているらしい」声がもれて聞こえる。

床の先に空っぽのチューハイの缶。
きみどり色で「グリーンアップル」と書いてある。
突如きみどり色の傘の記憶が蘇った。
玄関に立てかけたその色だけが鮮やかに思い出される。

わかっていなかったのかもしれない。
夜中で雨だというのに会いに来てくれたのは多分その時、そうしたい気分だっただけなんだ。

「声だけじゃ足りないから。」

あんな胸を締め付ける幸せは無かった。

ハンバーガー屋で俺に届いたメール。
結局おんなじだ。
きっとその時も、ただそうしたい気分だったんだろう。
声を最後に聞かせる気はなかったらしい。

俺は間抜けにも南の島へ行く計画を浮かべていた。この寒い冬から一緒に逃れる計画だった。

ごーっ。

ようやくクーラーが動き出した。
ねっとりとした風がいやらしく俺の背中を舐めている。
強引に夏に引き戻されそうになり、俺は水道の蛇口を全開にした。

「だらららら」っての、思いついたの私じゃなくてね、昔、知ってる人が言い
出したんだよね。それが何だか妙に頭に残っちゃって、この音聞くたびに、
「だらららら」って思っちゃうんだ。
こまるよ、意味も無いのに頭に残っちゃうのって。   

女は大笑いをやめると、俺に倒された格好のまま、そんな事を言った。

俺は何となくわかっちゃったんだ。
ああ、なんだ、やっぱりカブってんじゃん。

だから俺は朝が来るまでテレビを観ていようと思ったんだ。

結局俺は眠ってしまった。
公民館から流れる午前九時のサイレンが俺を起こした。

床で寝たせいか体中が痛い。
まるで死体でも隠すようにベッドの掛け布団の全部が俺の上にあった。

女はいなかった。

空き缶はきれいに片付けられ(もっとも漫画や雑誌で十分散らかったままだったけれど)飲みきれなかった分は全部冷蔵庫にしまってあった。
ヒーターの延長ボタンの点滅に気付き、押した。すぐには熱い風は出ない。

しんとした部屋。
遠くのどこかで自転車のブレーキの軋む音がした。

俺はたまらなく独りになっている事に気付いて、慌てて玄関のドアを開け、外気に顔を突っ込んだ。

この時間になると通勤者の数は随分減っている。ぽつぽつと駅へと歩く人々が遠ざかっていく。

女もこうやって駅へ向ったんだろう。
その時、何を思った?
何か思った?

変な気分だった。
うんと小さな何かが背中に刺さっているような…どうにも取りづらい何かだった。
女はドラムロールの水音を俺に突き刺して去ったのだ。

全開にひねった蛇口から出る激しい水音が、やがて涼しげな音に変わった気がした。
ぬるい水道もしばらくすれば冷たい水が出てくる。
気付けばクーラーもひんやりした風を俺に送っていた。

冷蔵庫のミートソースの缶の後ろに、缶ビールがある。これは実に半年間冷やされ続けていた。
あれから冷蔵庫に残っていた酒はさっさと飲んでしまったが、最後の一本にはどうしても手を出す気になれなかったのだ。

水道の蛇口に直接口をつけて水を飲み下した。
カルキをうまいと感じているのはきっと相当のどが乾いているからだ。

俺はいつから乾いているんだろう。

女が置いていった最後のビールが飲めない。
だから乾いているのだ。

俺は蛇口を絞った。
水の柱が急速に細くなり、最後に水は止まった。

今では完全に口癖になっている。

「だららららら……じゃん!」

背中に刺さったものはまだそこにある。

 

END

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