台本倉庫

「彼女/宇宙/バス停」幸せな個人主義者たちの残骸。

確か僕は花粉症で今は風が吹いていないのを少しありがたく思っていた。

いつになったらバスは来るんだ。
彼女と最近うまく行っていない気がする。もし今日の待ち合わせに遅れたら、折角のデートが、また諍いだけの無駄な時間になってしまう。
バスが悪いんだ。僕はちゃんと時刻表に合わせてバス停の前に立っていたのだから。

「遅いですねえ。」

僕の後ろで同じようにバスを待つ男が話しかけてきた。
ベージュのコートにベージュのスーツ、ベージュの靴。顔色も土気色で、どうにもぼやけた印象の男だった。
「どの位待ちましたっけ。今何時でしょうね、遅いですね。」男が続けた。
あいにく僕は時計を持っていない。
バス停に向かう時に確実に間に合うと確信して出発したのだ。時間を知る必要は無かった。
僕が軽く首をかしげると、男はさらに話しかけた。
「時間って、初めからあったんじゃないんですよ。世界の始まりは何も無かったんだそうですよ。時間も空間も何もです。ただ混沌がそこにあったという神話もありますよね。あなた、どうやって世界が誕生したかご存知ですか?」

まずいな…気味の悪い男に捕まってしまった。こんな奴とバスが来るまで二人きりなのか。
僕が返事をするべきか無視するべきか決めあぐねていると、男は困った顔をした。
「ご存知ありません?普通有名所じゃ、光あれ!って言うじゃないですか。」
「……。」
「それ言ったの私ですけどね。私、神ですから。」

まずい。決定的にまずい。
こいつ、機嫌損ねたらやばいんじゃないか?まさか懐に刃物とか隠していないだろうな。とりあえず逃げるか?
…いいや。かといってバス停を離れるわけには行かない。僕は待ち合わせに遅れそうなんだ。

「はあ。そうですか。」
僕はやっと返事をした。バスが来るまでの辛抱だ。ドアが開いたら、先を譲ってこいつが座った席から一番離れた場所に座ろう。
「それでね、光あれって言ったら、どうなったと思います。」
「次に地面が出来て、えっと、とにかく世界が出来たんじゃなかったですか?」
「そうです、それがビッグ・バンです。宇宙の、この世界の全ての始まりです。」
「…はあ。」
「本来の説では、ビッグバンの起こる前の世界って、とても重い一立方センチメートルほどのものだったそうですよ。そいつがはじけたって訳です。」
「はあ。」
「あなた宇宙の終わりって、ご存知ですか?」

僕はバスを待っている。彼女は僕が降りるはずのバス停で、いつものベンチに腰掛けているだろう。こんなに遅くなっては、僕が乗り遅れたと誤解するんじゃないだろうか。
バスが来ない。僕は静かにイラ付いたままだ。

「宇宙の終わり?さあ…どうせうんと先でしょう?僕は知りませんけど。」
男は僕のつっけんどんな態度に気付かないようだ。なつっこい口調で話を続ける。

「あのね、学者さんによると、大まかに二つの説があるんですよ。一つ目は、宇宙はこのままどんどん膨張して行って、いつまでも膨張して、霧散して薄くなりすぎてゼロに近いような、ボンヤリした感じて終わっていく。もう一つは、膨張しきった宇宙は、今度は逆に収縮を初め、時間も空間も巻き込んで、一立方センチメートルほどの宇宙全ての質量を内包した代物になる。そいつは、またビッグバンを引き起こし、次の宇宙が始まる。ね、どっちがすてきです?」

「バス、遅いですね。」
僕はイライラしていた。

「一応私的には、うすーく終わっていくなんて寂しいなあと思ったんです。でもこれ、私ひとりの考えでしょう?独りよがりなのは、いくら神でも良くない様な気がします。ご参考までにあなたの意見を聞きたいんですけど。」
「どっちでもいいですよ。どうせその頃は生きていないんですし。」
「そんな、随分と投げやりな考えをお持ちじゃないですか、お若いのにいけませんよ。」
「すいませんけど、僕は今バスが来ない事の方がよっぽど大事なんですよ。彼女と約束しているんです。なのにこんなに遅れてしまって。いいですか、僕は僕の事でいっぱいなんです。あなたの質問を考えるような心の余裕なんて今ありませんから。」

「所で…これ、なんでしょうね。」
男は急にバス停を見上げて言った。

「バス停じゃないですか。」
「ええそうです。バスが来るからバス停です。では、このままバスが来なかったら、この立ちっぱなしの哀れな平たいのは、一体なんなんでしょうね。」
「は?」
「バス、遅いですね。遅いというのは立派な理由だ。ここで待ち続ける理由として。」
「何言ってるんです?」
「さてあなた、立ってますか、座ってますか?」

僕はバスを待っていた。どう待っているかなんて事まで考えていなかった。
途端に足元がぐにゃりと沈み始め、僕はよろけた。
持ち直そうと踏み出した、もう一本の足もズブズブと沈んでいく。
思わず手を伸ばし掴んだバス停の鉄柱。それだけが固く確かで、僕はバス停にすがりついた。

世界が暗転した。
だれもいない。全てがうすぼんやりとしていた。真っ暗闇のようでいて、じんわりとあちこちに光が在る。
頭の中に靄がかかり、空間に溶け出して行きそうな感覚。掴んだ鉄柱の冷たさ、固さ、触感。現実感がそこにしかない。
手の中の感覚に集中し、強引に意識をたぐり寄せて男を捜した。

男は、そこにいた。
立っているのか座っているのか、宙に浮いているのか何も理解できない。でも男はそこにいて、僕を見ていた。

「頑固ですね、バス停もあなたも。」
「…え。」
「あなたの理由もバス停の理由も、うまく事象のポケットに入ったという事ですね。あなた方はかろうじて存在が残った。」
「ど、どうなってるんですかこれ。手伝って、引き上げてください。」
「大丈夫ですよ、あなたバスを待ってるんでしょう?バス停が立つためには地面が必要ですし。どうぞご自身冷静になってみてください。」

男の言葉どおり、僕はいつの間にか地面に立ちひざでバス停に抱きついている格好になっていた。

「…これは、どういうことです?」
「うーん、きっかけは何でしたっけ…。まあ、こうなっては今更ですがね。あなた方の理論を超越した事象の結果ですよ。突如この世界の全てが広がり霧散してしまった。上も下もあったもんじゃない。にわかに信じがたいかとは思いますがね。」
「じゃあ、誰も?ぼ、僕だけってことですか?」
「いいえ、バランスは成り立っています。あなたは向かう力、彼女は待つ力。いわばプラスとマイナスです。彼女もあなたが降りるはずの場所で待ち続けていますよ。」

よかった。
しかし、こんな話、彼女は信じるだろうか?彼女に待ちぼうけを食わせた言い訳と思われて、ますます機嫌が悪くなるのではないだろうか?
僕は男の話も、この現状も本当に理解などしていなかった。
しかし、「彼女に会うためバスを待つ」という理由を取り上げられずに済んだ事に心底ほっとしていた。

「それで、あの…、バス、遅いですね。」
僕は当初の目的どおりの自分の置かれた状況を回復させた。
「来ない方がいいんじゃないですか?」
「どうしてです?」
「あなたは会いに行く。彼女は待ってる。プラスとマイナスって言ったでしょう?」
「ええ。」
「プラスとマイナスが会ったら、ゼロになりますよ。」
「……。」
「同じだけ会いたがってるかどうかによりますがね。」

僕は不思議と悲痛な気持ちにはならなかった。
同じもののプラスとマイナスならば、ね。

彼女は僕をどう思っているんだろう?今、会いたくて待ち焦がれているのだろうか。それとも、いつもみたいに僕の非をどう責めようか、どう怒りを発散させようかとくすぶっているのだろうか。
どちらにしろ、二人の気持ちのベクトルは少しずれてきている。
会ったところで消えずにお互いに余りが出てしまうのではないだろうか。僕は苦笑いをした。

「バス、来ませんね。」
僕はバスを待っていた。とにかくバスに乗り、彼女に会わなければ。
彼女にどう言い訳すれば良いか、いまだに言葉が見つからない。

顔を見た途端、背中を向けてスタスタ歩き出す彼女の姿が浮かぶ。何を言っても一時間は無視するんだ。そして口を開いたかと思えば延々と恨み節が続く。
僕はその想像に憂鬱になる。
そうだよ。彼女の無言の攻撃を少しでも短くするには、やっぱり出来るだけ早く着く事なんだ。

「ねえ、バスは来ないんですか。」
「来ますよ。バス停がここにありますから。バス停はバスを待ってますからマイナスなんです。…所であなた、折角存在してるんだし、わざわざゼロになる事ありませんよ。彼女の事はすっぽかしたらどうですか。」
「僕はずっとバス停の前にいたんですよ。もう待ちくたびれました。今更そんな事出来ませんよ。」
「そうですか。」
「バスは来るんですか?本当に来るんですか。」
「来ますよ。ほら。」

男は、右の方角(方角なんて霧散していたのに)をじっと見据えた。
遠くから懐かしいエンジン音が聞こえてくる。

バスだ。バスが来た。どれほど遅れたのか。いいや、時間さえ霧散しているのだから、もう何も分からない。

白地に赤いラインの入ったいつもの循環バスが、急ぐでもなくゆっくりとやってきて、僕と共に待っていたバス停の前で停まった。

バスが来た。
待ち焦がれたバスが来た。
やっとこれで乗れる。
やっとバスに乗れる。
これで。
 
※確か彼女も花粉症で、今は風が吹いていないのを少しありがたく思っていたに違いない。

彼女は少し少女趣味の淡い色合いのニットとレースの入ったスカート、恋人の趣味では理解しがたいような、随分とごついウエスタンブーツを履いていた。

バス停のいつものベンチに腰掛け、手鏡を取り出すと自分の髪先をいろんな角度から見ている。
髪がきれいに巻けたことにとても気分をよくしているようだ。
今日は風が吹かない。彼女はますます気分が良かった。
(こんな日に人通りが多ければ良いのに。)

彼女は街中で男女問わず振り返るほど、かわいらしい容姿をしている。その事は自分でも自覚していた。
だから、おしゃれをして街中を歩くのが大好きで、それは恋人に見せる為というよりも、周りの人間に見せるためといってもよかった。
気性の激しさについては、誰も知る由もない。

彼女に一人の男が近づいた。
ベージュのコートにベージュのスーツ、ベージュの靴。顔色も土気色で、どうにもぼやけた印象の男だった。

「こんにちは。」

彼女は男をちらりと見て、目線を手鏡に戻した。男は懲りずに再度話しかけた。

「バス、着きませんよ。一応お教えしようかと思いまして。」
「…どうして来ないの?」
「消えてしまいました。」
「消えた?」
「ええ。本来は、ここのバス停も待っているんだし、バスはここまでは来てくれるはずだったんですけど。バス停2本分とバス一台を足すとゼロになる計算ですね。」
「でも来ないんでしょ?どうして。」
「それがですね、さっきバス停で待っていた男が、あなたに会いたいというよりも、バスに乗りたい気持ちが強かったようで。…バス停一本とあの男一人プラス、バス一台イコールゼロになってしまいました。ですから、バスは来ません。」
「…そう。あたし、振られたんだわ。」
彼女は目線を落として淡々とつぶやいた。
「ある意味、そういう解釈にもなりますね。」
「あたしはどうなるの。あたしも消えてしまうの。」
「さあ。でも、今はマイナスの存在ですからとりあえず消えはしません。」
「ここには何もなくなってしまったの。誰も見てくれないの。折角髪がきれいに巻けたのに。」
「素敵ですよ、その髪型。寂しいなら私と過ごしますか?」
「いやよ。好みじゃないもん。そんなことより、他に誰か余っていないの?その人が素敵ならゼロになっても良いわ。」
「こんな状況、私だって初めてなんです。細かい事まで分かりませんよ。…でも確かに、バス停とあなた、マイナスが二つも置き去りなんてあんまりですよね。もしかしたらプラスが何処かに余っているのかもしれません。」
「だったらあたし、ここで待つわ。」

彼女は、カバンからティッシュタイプのメイク落としを出し、シートを一枚引き出した。
「プラスが来てくれるまで、きれいにしていなくっちゃ。」
晴れ晴れとした表情で、彼女は目じりに少しにじんだマスカラを落とした。
そしてまじまじと見ている男に「直してるところ見ないで。」と言った。

彼女の手の中のメイク落しは、汚れをふき取り終えるとゼロになっていく。
なのに、彼女の顔に塗られた化粧品達の色合いは消える事はなかった。
見て欲しい人に見られなければ意味がないからなのかもしれない。
男は、自分が彼女のプラスじゃないから化粧が消えないんだなあ、と少しだけ複雑に思った。

突如霧散した宇宙をさらに広げて曖昧に薄らいだままにして終わろうか。
それともかき集め凝縮させ、再び爆発させようか。

男にとってはどちらでも構わないのだが、その前に、この少女が楽しそうに待っている姿を、続く限り見ていよう、と思った。

バス停がここに一本残っている。
いつか何処かからバスが来て、そして降りてくる誰かがあたしのプラスに違いない。

空想する少女は、精神を空間に溶かしつつ淡い光を放っていた。

少女の巻髪は艶めいていて、彼女が自賛する以上に美しい。

その繰り返す螺旋構造の先は、宙に放たれて、自由だった。

                  

END

※著作権は「はとごやどっとこむ」にあります。

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